二分論の恐さ
こんにちは、鈴木です。
物事を理解するために、複雑な問題を単純化してモデル化する、という手法を取ることがあるかと思います。
他にも例え話をつかってわかりやすくする、とか、人に伝えるときや自分が理解するときに、こうして難しいことを簡単なモデルで伝えるというのは、年々必要になるコミュニケーションスキルで、とても大切だと感じています。
ですが、あまりに単純化しすぎると、大切な部分がそぎ落とされてしまうことや、逆にその背景にある部分が見えにくくなってしまったりする時もあるなと感じています。
例えばよくある思考パターンの二分論で左脳派と右脳派とか、感性派と理性派とかよく聞きますよね。
本来これって「意思決定の際に影響を与える度合いが感性が◎%で理性が◎%である」とか「感性で意思決定する時が◎%、理性で意思決定する時が◎%」という風にパーセンテージと言うかスペクトルのように表現されるものですが、「私は感性派だから」とか「理性派だから」みたいに0か1かみたいに思っていると複雑な人の心境が抜けてしまうように思えるんですよね。
まだ自分でもまとまっていないのですが、この二分論って妙に説得力があるからこそ、意図的に一部の人の意見を排除するために使われたりします。だから怖いな~と思います。
私自身も二分論を使う時には、その背景で心を痛めたりする人がいないかな、などと配慮をしていこうと思いますし、あまり多用しないようにしていきます。