壁にぶつかって砕け散る直前までは、理由はともかくひたすら全力疾走したほうがいいのではないか
こんにちは、鈴木です。
「何のために働くのか?」
約10年前、社会人4年目の終わりにこの質問をされたことがきっかけで、自分の人生を見直した結果、今に至っています。
学生時代はとにかく目の前の学業や部活、出来事に一生懸命で、社会人になってからは仕事に打ち込んでいて、「親に立派に働いている姿を見せて親孝行したい」くらいの考えしかなく、そんなことは考えたことがありませんでした。なのでこの質問は私にとって大きな衝撃で、更にこのころは仕事でなかなかうまくいかないことに悩んでいて成長の必要性を感じていたので、原点に立ち戻って真剣に自分を向き合うことができました。
この質問をしてくださった方には今でも本当に感謝しています。
ただ、今になって思うのは、この質問って【理由とかともかくひたすら全力疾走】して壁にぶつかった時期だったからこそとても心に響いたのであって、思いっきりやり切っている!と言えないのであれば、壁にぶつかって砕け散る直前まで【理由はともかくひたすら全力疾走】した方がいいのではないのかということです。
心の成長には経験・体験が必要で、どんなにすばらしい言葉や考え方も、それが成長と結びつくには適切な時期があるんだと思います。
一人暮らしをするからこそ、実家のありがたみがわかる
社会人を経験するからこそ、親のありがたみがわかる
必死に働くからこそ、休みのありがたみがわかる
体調を崩すまで頑張るから、健康のありがたみがわかる
自力で稼ぐ経験をするからこそ、給料のありがたみがわかる
お金がない経験をするからこそ、お金のありがたみがわかる
私自身、まだ38歳でこれからもっと脂がのってくるし、まだまだ人生を語るなんて早いのではないかと思います。
われ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。
これは孔子の言葉です。まだまだ自分の道に対して模索中ですが、孔子ですら四十までは確信が持てなかったと言っているので、これでいいんだと思います。
あまり若いうちから落ち着くことを覚えず、まずは一生懸命働いて道を切り開いていけたらと思います。