単身赴任経営者の日常

東京に単身赴任中の経営者の日々を綴る。夫婦仲はもちろん円満♪

あなたは「仲間」と言う時、何を思っていますか?

こんにちは、鈴木です。

 

最近、「仲間と一緒に」とか「一緒に仕事するメンバーのために」とか言う言葉をよく聞きます。

 

僕たち社会人にとって、一緒に仕事する仲間の存在は本当に大事です。一人では出来ない事ばかりだし、自分とは違う強みを持つ仲間がいてこそ、力強いチームワークが発揮されます。経営者ばかりでなく、一会社員でも同じです。自分がリーダーの場合も、メンバーの場合も同様です。

 

人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり

 

武田信玄の歌です。いくら城を強くしても、人を蔑ろにしたらいつか滅びる、信頼・情愛によって人は繫がり、恨みは人を離れさせる、といった意味です。まだまだ若輩の自分が語るには早いかもしれません。戦国時代最強のチームを作った武田信玄の名言ですし、もっと深い意味があると思います。

 

僕自身も、自分の未熟さで信頼の糸を切ってしまったり、最終的に大切な人がいなくなった経験をたくさんしました。自分の中の正しさを押し付けてしまったり、嫌われたくなくて迎合してしまったり、また周囲の目を気にして本当に思っていることとは違う事をやってみたり。

 

そういう一つ一つの経験の中から、自分の心の贅肉に気付いて削ぎ落としてきました。また、心にささった小さなトゲに気付いて抜いてきました。過去から癒えてない心の傷に気付いて癒してきました。そして許していない罪悪感に気付いて許してきました。そうして一歩ずつ成長してきたと感じています。

 

そうした経験から思うのは、何かあるたびに「仲間が」「仲間のために」と口にする人って、どういう意識で言ってるんだろう?ということです。リーダーとして言ってるの?それとも仲間に依存した発言じゃないか?ということです。経営を志す人にとって、ここは常に自分に問いかけ続けなければならないところだと、僕は感じています。

 

以前、成田山新勝寺に行った際、「不動明王の顔が怖いのは、"全ての民衆"の"一切の苦悩"を断ち切ると決めているから」という話を聞きました。

都心から離れて心もお腹も満たされました。「成田山新勝寺」

本当にコミットしていると、そのことで頭がいっぱいで、優先順位が全てそこにセットされて、ボケていられないです。昔はお不動さまを見て恐!と思ってましたが、その話を聞いてからは、心の中に常にお不動さまがいる感覚になってます。

 

僕自身、「仲間」という時、そこに仲間の人生を預かっている「責任」を感じます。だから、こんな質問を常に自分に問い続けています。

 

自分は仲間に背中で証しているかな?

「仲間」と言うにふさわしい生き方してるかな?

言ってる事と思ってる事、やってる事は一貫してるかな?

自分のどの面を切り取っても、いつ切り取っても、金太郎飴のように一貫しているかな?

 

逆に、自分がしっかりしていれば、チームは大丈夫だと思っています。たとえ一時的に事業が傾いても、仲間全員が安心して未来を見れるようになるまで、無一文になってでも最後まで見届けることにコミットしています。「仲間」と簡単に口にする人を見ると、本当にそこにトップ意識を持って言ってるのか?と問いたくなります。

 

決して、仲間を甘やかすわけではありません。時には厳しい事も言います。というか僕は結構厳しいです。馬を水飲み場まで連れていくことはできますが、馬に水を飲ませることはできません。仲間の人生はその人自身しかコントロールできません。仲間自身が力をつけていくしかないです。

 

また、休まない、遊ばない、ずっと仕事する、という訳でもないです。僕自身もよく遊びますし、奥さんとの時間を大事にしますし。でもいつも思考と行動の優先順位は、一番に仕事で、仲間です。その生き方をしているとき事業が繁栄し、そこがぶれた生き方をしているとき事業が止まります。もちろん経験有りです。

 

僕は稲盛和夫さんの「生き方」という本がとても好きです。敬愛しています。私にも師匠がいるのですが、師匠のことも本当に尊敬しています。師匠や稲盛さんの本から教えてもらったこともたくさんありますが、それ以上にそのお二人の背中、在り方、やってる事を見て、自分のそんな生き方がしたいと思って、近付くように意識して生きています。まるで近くで見られてるかのようにです。

 

稲盛和夫さんの本を読んだことのない方は読んでみてください。「生き方」「考え方」「燃える闘魂」とかオススメです。

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。